結婚、子育て、趣味嗜好に走る突っ走り系ブログ

はじめまして。 私は、解離性障害と境界性パーソナリティー障害を持つ 将来社会保健福祉士を目指すアラサー女子です。 家には、 私の息子(小学生で先天性難聴、口唇裂、発達障害を持つサッカー少年、以下王子)と 社内成績一位、全国七位をサラッと取っちゃうドS系夫(以下遊星氏) 都会暮らしに憧れて家を飛び出てきた、これまた知的障害を持つ某有名大学の女子大生(以下ばふこ。) の四人がSNSで出会い、縺れ、同居し、共に成長しちゃう系のブログです。 趣味は、美容・スポーツ観戦・写真・料理・漫画アニメ・映画・音楽・ジャズ等

育児鬱とネグレクト

みなさんこんにちわ。

お久しぶりです。体調を崩していたため久々の更新になります(汗)

 

今回は前回の続き。

王子が家に来てから少し経った時に事をお話ししたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

王子が丁度三歳になろうとしたころ

王子は急に40度近くの発熱をしました

その熱は一週間も続き大きな病院へ転院して検査してもらうことに

原因は膀胱の筋肉の弱さからくるおしっこの逆流を起こし

それが腎臓に感染症をおこしていたのです。五段階で言えばステージ3

早く手術しないとこの子は死んでしまうよと言われました。

すぐに手術の日取りを決めてもらい入院…そのころです

前夫の浮気が発覚。おかしいおかしいと思い「携帯見せて」

と迫ったころ「子供さん障害児なんでしょ?放っといて私と会ってよ」などと

女性とやり取りして共通の友人に口裏を合わせるようにして、会っていました

私の事なら兎も角、子供の事を悪く言われるのも嫌だったし

共通の友人を利用されたこともすごくすごく腹が立ちました。それも子供の入院中に

 

それからです、私と夫の仲も更に亀裂が入り、

私もだんだん夜眠れなくなり、イライラしたりして…

心療内科にかかるようになりました。

診断は「育児鬱」でした。たくさんの薬を処方されて

一日20錠近くは飲んでいたと思います・・・

 

王子の手術も無事成功し、経過観察も無事に行ってきたころ

私の中でなにかがプツリと切れたように今度は私の病状が悪化していきました。

薬のせいか、毎日お昼近くまで眠る、そのせいで仕事にもまた王子の保育園にも行けず

昼頃にむくむくと起きてきてはご飯を食べまた夜まで寝る・・・

絵本や散歩が大事な時期にそれをしてやる事が出来ず、王子にはゲーム機や携帯を渡していました。そして、昼間に寝るから夜寝れず2時3時までおきている事も・・・

そしてまた次の日には同じサイクル・・・

完全なるダメダメパターンでした。

 

 

そのころです”死にたいなぁ”とちょくちょく思いはじめました

自分の人生にはなんの価値もないように思ってしまい、

リストカットもこのころから酷くなっていきました。

夫とは喧嘩の毎日、子供はいつ体調を崩すかわからない・・・

誰でもよかった、助けてほしかったのかもしれません

そんな折、SNSで出会ったのが遊星氏。

最初は夫のことやいろんな事を相談していました。

そして少しずつ会っていく内に惹かれていたのもまた事実。

でも私には夫もいたので、あくまでネット上でに疑似恋愛みたいなものと思っていました。

ところが、ある日いつものように夫と喧嘩。

私に向かって手を挙げることはしばしばありましたが、その日だけ我慢ならなかったのは

王子にその矛先がむかったのです。

 

私は王子と荷物を抱えて家を飛び出しました。

父とは仲が悪いし、義両親の家に行ったって味方なんかしてくれない

どこにも行く当てなど無かった時に遊星氏から連絡をもらい

その日は遊星氏の家に泊めてもらう事になり何度かお世話になりました。

 

(遊星氏曰くこの頃から結婚するつもりでいたとか)

 

 

そしてほとぼりが収まった頃家に帰っても何も変わる事はなく

毎日喧嘩喧嘩・・・だんだんそれすらも煩わしくなってしまい・・・

 

ある日気が付けばそこはベッドの上でした

そう、私は知らない記憶のないうちに自殺未遂をしていたのです

もちろん精神科病棟ではそんな状態で返してくれるハズもなく3ヶ月入院しました

そのころから、未婚の母として役所に届けてる私の元に児相の人がちょくちょく来るようになりました。

 

”いつでもしんどければお子さんを一時預かりできますからね”

 

もちろん、預けませんでしたが。

どこからか、私はネグレクトの疑いありと目をつけられてしまっていたようです

精神科病棟を退院しても月1で児相の人が監視にくるのに毎月ストレスを感じ

私は頑張って育児しているのに!

 

当時の私はそんな事ばかり思ってました

今ではネグレクトと言われても当然なんですが・・・

 

それでも、自殺未遂(リストカットかOD)をやめることができませんでした

 

 

 

 

次回→解離性障害と決断