解離性障害と決断
鬱と診断されてから調子が悪くなっていくのにそう時間はかかりませんでした
調子を崩し始めて暫く経った時ひとつの違和感がありました
記憶がないのです。
私は記憶のないうちに、知人と連絡を取っていたり食事をしていたり買い物をしたりしているのです、
買い物もすべて私の好みではないものばかり。それもうん万単位で買い物をしているのです。さすがに怖くなった私は当時の主治医に相談しました。
そして、その頃から遊星氏も私の変化に気が付いていたようです。
いつも一人称は「私」のはずなのに急に「うち」と言いながら乱暴な口ぶりになったり
乱暴に書きなぐった置手紙には”おにいちゃん””おねえちゃん”と書かれていました。
これはただ事ではないと思い私は自分から任意入院をしました。
何をするのかわからなかったからです。
入院で検査を進めていくうちにわかった診断名は「解離性障害」「境界性パーソナリティー障害」でした。
解離性障害、ひとことに簡単に言うと多重人格だそうです。
嘘だと思っていた漫画のような事が私の体の中で起こっていたのです
悩みもしましたが、病院内なら安心だと思ってたのはつかの間
入院して一か月経ったころ、私の一人の人格”みく”(一人称うちの人格です)が
ほかの患者さんを殴り椅子を振り回しそのまま強制退院になったのです。
それからです、私が解離性を認めた途端から次から次と人格が生まれてきました。
多重人格といっても全くの別物ではなく、私の幼い記憶や記憶が抜け落ちてる間の感情や人格がそのまま表に出てきているという感じです。
だから、男の人格があるとかそういうわけではなく。すべて”よしえ氏”なのです。
今では五人の人格が居ます、私の抜け落ちた記憶はその子達がつかさどってくれています。
これが私の解離性障害です。
入院から帰ってきても前の夫は認めてくれずむしろ衝突してばかりで
外で体調が悪くなっても外で平気でぶたれたりしました。
「ああ、この人はもうわかってくれないんだ」と諦めましたし
決め手となったのは私が少しずつ貯めていた貯金を勝手に車を買う頭金にされた事でした。
そして私はある決断をするのです
”家を出よう”
理解してくれる人のところへ行きたかった。
その時に「おいで」と手を伸ばしてくれたのが遊星氏でした
持てる分の荷物を持って私は家を飛び出し遊星氏の家に行きました。
その家には一日早く大阪に出てきていたばふこもいました。
でもみんな暖かく迎え入れてくれました。
そして三か月後、
遊星氏が持って帰ってきてくれた婚姻届とにらめっこする毎日がはじまるのです
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