結婚、子育て、趣味嗜好に走る突っ走り系ブログ

はじめまして。 私は、解離性障害と境界性パーソナリティー障害を持つ 将来社会保健福祉士を目指すアラサー女子です。 家には、 私の息子(小学生で先天性難聴、口唇裂、発達障害を持つサッカー少年、以下王子)と 社内成績一位、全国七位をサラッと取っちゃうドS系夫(以下遊星氏) 都会暮らしに憧れて家を飛び出てきた、これまた知的障害を持つ某有名大学の女子大生(以下ばふこ。) の四人がSNSで出会い、縺れ、同居し、共に成長しちゃう系のブログです。 趣味は、美容・スポーツ観戦・写真・料理・漫画アニメ・映画・音楽・ジャズ等

よしえ氏のこと①

どうでもいいかもしれませんが、少しよしえ氏の過去のことを。

私は完全なる機能不全家族の中で育ちました。

父親は愛人作ったり、長期家を空けてたり、反社会的組織の人間と付き合ったり。

そんな父を見てか、その父への執着の末か、母親は異常なまでの愛情を私に向けました。世間でいう子離れできていない範囲を超えていて、部活動等で家に帰宅するのが遅くなる日にはぶたれたり、大声で罵声浴びせられたりしました。

でも、誰よりも愛してくれたし誰よりも味方でいてくれた。

私が学校でいじめられた時も、反抗期でグレた(死語?)ときも

誰よりも信じてくれたし、誰よりも抱きしめてくれた。矛盾してるけれど。

お金のないときは、自分が夜の仕事をしてまでご飯を食べさせてくれたし・・・

それは、ある意味”共依存”だったのかなって思います。

 

そんな私の母は私が高校進学するとすぐに脳梗塞で床に伏せ。

社会的にも孤立していた私の家で当時福祉サービスを利用するなんてこともないまま

私や時折フラっと気まぐれに帰宅する父が気まぐれに面倒を見ていたのです、

私は母を介護するために高校を中退。父とも折り合いも悪く進学をそこまで深く考えてなかったのです。

 

そんな環境も数年続き、私が二十歳のころ、成人式を迎えてすぐに他界

「おやすみ」

その言葉を最後に急逝したのです。

 

それを機に今まで束縛されていた「何か」から解放されたかのように

お金集めに固執していったのです。

すべて折り合いの悪かった父から離れて自立するために

なにがなんでもお金が必要だったのです。

 

朝から夕方まで飲食店でランチサービスの接客をし

夕方からはキャバクラや風俗店などをかけもち。

一か月に50万近く稼ぎは貯金、稼ぎは貯金。

そしてそのストレスを発散するかのようにホストへ毎晩通い、朝帰り。

そしてまた普通の接客業へと戻っていく・・・

 

そんな折、一人の男性と知り合い交際へ

王子をできちゃった身籠りしたのです。そう、完全なる望まない妊娠でした。

付き合って三ヶ月での出来事でした。

結婚して落ち着けるのかな?・・・そう思っていたけれど

私の父親も反対。出来の悪い親だと、向こうの親も反対

もちろん籍など入れれるわけもなく、私は未婚の母となりました。

 

 

でも、妊娠時期ってあれよあれよと十月十日は早いもので

気が付くと王子を出産。長いようで短い妊娠生活を終えました。

ここから私の苦悩は拍車をかけたのです。

 

 

”先天性難聴”、”口唇裂”、”心室中隔欠損”、”発達障害

 

 

出産した王子は難に難を重ね産まれ出てきてくれたのです。

「おめでとう」周りのママさんたちはそう祝われるのに

「何で貴女のところだけ・・・」出産後に医師に言われたのがその一言でした。

今でも忘れません

 

出産して三日、王子は口唇裂の影響かミルクを飲んでくれず

脱水症状で大きい病院へ緊急搬送。

赤ちゃんの居なくなった病院では私は居させてもらえず、搬送されると同時に退院を迫られました。

まだ貧血で死にそうな上に、おっぱいマッサージも教えてくれず胸をキンキンに張れたまま家に帰宅しました。

「はやく王子に母乳を届けないと」

大きな病院では私の初乳を待ってる王子が居ましたが、なんせ乳腺も開いてない私の胸からミルクなんて出るハズもなく。

 

ほんの数mlを冷やして病院に届けていました。

電車で約一時間かけて(苦笑)

 

そんな王子は一か月後に家に来てくれました。

まちに待った育児生活の始まり。

でも世の中そう上手くはなかったのです・・・

 

 

 

 

 

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